浜松のサルサシーンをバックアップしているSALSA CON SABOR。イベント運営やレッスンなど。運営の裏話やいろんなイベント紹介をしていきます。


by hsalsa
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1月から装いを新たに

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1月からは月2回のイベントになりました。

第2金曜・・・窓枠(ライブハウス)
第4土曜・・・BAR AZUL(BARの多目的スペース)

フライヤーもリニューアルしました。どお?
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# by hsalsa | 2004-12-29 02:02 | EVENT
ホームページ以上にコチラも盛り上げて参りたいと思います。
どうぞよろしく。(マリ)
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# by hsalsa | 2004-12-23 19:04
 1年半ぶりになりますが”外伝”を書きたいと思います。
高校生の頃モダン・ジャズで洗礼を受けたワタクシはあえなく大学受験に失敗し、名古屋で浪人生活をすることになりました。某予備校の寮に入ったんですがユニット・バスと6畳ほどの部屋にベッドと机と申し訳程度に備え付けられた冷蔵庫があるだけの白塗りの無機質の部屋で、まるで刑務所か精神病棟の独房を思わせる造りでした。入寮当時ここの予備校生の間で”去年寮の学生の中で気が狂って自殺したヤツがいるみたいよ”という噂がまことしやかに囁かれていました。
 ワタクシの部屋の空間を満たしていたのはチャリー・パーカーのアルト・サックスやバッド・パウエルのピアノで、それはカタギのヒトが聞いたら騒音としか聞こえないようなシロモノでした。勉強の合間にこれらの音楽で魂を打ち震わせていました。その当時の自分の置かれた状況とジャズの空気感がなんともいえずマッチしており、ますます暗い気分になることもありました。まあ、こういう感覚を持つのは屈折した一部の人間だけだと思うんですが、その”暗さ”にある種の心地よさみたいなものを感じていたような気がします、今考えると・・。
 そんなある日一冊の本に出会いました。ー村上龍の”新世界のビート”ー。キューバ音楽を紹介したものでしたが、これを読んで早速ロス・バンバンとオルケスタ・アラゴンのCDを買ってきました。ラジカセにCDを入れ再生のボタンを押すと、ワタクシは衝撃を受けました。”なんて美しく、そして強い音楽なんだろう”-魔女っ子メグちゃんに魔法をかけられたみたいにそれまでの暗い世界が違って見えました。これがワタクシとキューバ音楽との出会いでした。そもそもこれが新たな過ちの始まりになるとはこの当時は知る由もありませんでした(笑)。
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# by hsalsa | 2004-10-16 14:35 | ルンベーロの日記
 今度の10月23日のパーティーにワタクシに最初にサルサを教えてくれたイバン・サルディーニャス・ゴメスが来ます。ワタクシにとっては非常に感慨深いことです。
 思えば6年前偶然イバンに出会い(詳細はルンベーロ・ヒストリーを見てください)サルサを教えてもらいました。当時大学生で金もなく、京都から大阪に週2回休まずレッスンに通っていたワタクシを特別にかわいがってくれて無料でレッスンを受けさせてくれたり、家に泊めてくれたりしてくれたことは絶対に忘れられません。今、ワタクシはクラシック・バレエ、アフリカン・ダンス、ヒップ・ホップetc.と色々なダンスを踊っていますが、どんなダンスを踊っているときもイバンから教えてもらった”踊りの本質”みたいなことを片時も忘れたことはありません。イバン本人は口に出して”踊りとは・・”みたいなことを語ったことはないんですが、その踊り(ヘビーな言い方をすれば生き方)はワタクシのココロにある種の”テツガク”みたいなモノを刷り込んでくれました。”踊りを楽しむこと、そして人生を楽しむこと”-シンプルですが非常に強いメッセージでした。
 レッスンをやってくれるのでゼヒ受けてください。何か感じるものがあったらワタクシとしてもヒジョーに嬉しいです。
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# by hsalsa | 2004-10-15 14:35 | ルンベーロの日記
 今回はハバナ大学でのスペイン語のクラスについてお話します。案外キューバに来ている外国人は多いらしくてその顔ぶれも多種多様でした。アメリカ人、ノルウェー人、ドイツ人、スイス人etc.と国籍もバラエティーに富んでいましたが、年齢も20歳~60歳ぐらい(!)と幅広かったのが印象的でした。
 この当時のワタクシのスペイン語のレベルは読者の想像をはるかに超越していました、冗談ではなく・・。クラスでのワタクシの位置付けをあえてするなら”のび太くん”でした。英語圏とかヨーロッパの言語圏のヒト達にとってはかなり易しいレベルのクラスだったんですが(母国語がスペイン語に非常に似ているため)、”のび太くん”には何を言っているのか全く”?”で、ドラエもんにすがりつきたくなりました。泣きそうになりながらも授業をやり過ごすと、隣のクラスにいた日本人の知り合いとヤンキー座りをして”Popular”(キューバの煙草)をフカシながら”そりゃーいいよな、あいつらはよお、替え歌歌ってるようなもんだからさあ。”と落第生同士ぼやいて傷をなめ合ったもんです。ワタクシ達は不意に”もう学校や家には帰りたくなぁーい~♪”(”15の夜”by尾崎豊)と歌いたい衝動に襲われたのを憶えています。
 が、まあ、この時期にはある種色々なことに関して開き直っていたので毎日胃が痛くなりながらも授業に行きました。それでも毎日スペイン語しか使わなかったので2週間後にはそれなりに授業に付いていけるようになりました。この”のび太くん”になった感覚を2度と味わいたくない、と思っていたんですが後にまた経験することになりました。しかも2回も・・。クラシック・バレエを始めたときと、パーカッションを習い始めたときに・・。まあ、今考えてみるとこういうシンドイ経験も次のゴキゲンなステージに移るときのある種の”洗礼”みたいなもんですねえ。やっぱ本当に楽しいことを経験したいなら、それなりにシンドイこともありますわ。
 と、まあ、今回はここまでにします。
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# by hsalsa | 2004-10-15 13:36 | ルンベーロの日記
 さてご馳走をたらふく平らげてゴキゲンなワタクシはイバンから預かっていた手紙があることを思い出し、腹巻(パスポートとかカードとかの大事な物はここに入れて肌身離さず持ち歩いていましたので)をゴソゴソまさぐり手紙を取り出すと、その様子を”?”という様子で見ていたイバンのお母さんに渡しました。嬉しそうな様子でそれを受け取ったお母さんは丁寧に封を開け一字一句飲み込むような感じで読み始めました。しばらくすると、お母さんの目に涙が溢れ、嗚咽が口からこぼれました。その声は晴れた穏やかな午後には不釣合いだっただけに余計にワタクシの耳に、痛々しくそして悲しげに届きました。”イバンはいつもあなたのこと、家族のことを気に掛けている。”とタドタドシイスペイン語で語りかけ、肩を抱いてあげることしかワタクシにはできませんでした。そうしながら、日本にいる自分自身の両親を思い出し複雑な気持ちになりました・・。
 さて、なんやかんやでイバンの家族と別れ、ホテルに戻ったときのワタクシは朝ホテルに出る前のワタクシとは別人のように力がみなぎっていました。その日のうちにハバナ大学の外国人のスペイン語のクラスの申し込みを済ませ、そして先日会ったウーパー・ルーパーに似たおばちゃんに宿に泊まる旨を電話で伝えました。スペイン語でコミュニケーションがなかなか取れずシンドかったにもかかわらず、そのときのワタクシはタフでした。”スペイン語が話せない?知り合いがいない?ーだからどうした!”っていうようなある種の開き直りの境地に達したような気がします。では今回はここまで。Hasta pronto.
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# by hsalsa | 2004-08-15 14:37 | ルンベーロの日記
 NHKニュース速報”「キューバで日本人男性の変死体発見」 本日未明、キューバの首都ハバナのホテルの一室で日本人男性の変死体が発見されました。ホテルの従業員によると・・・”

 ”イヤァ~!”自分の悲鳴で飛び起きたワタクシは全身汗びっしょりでした。キューバ滞在4日目。窓から差し込んでくる太陽の光は相変わらず暴力的ですらあり、悪夢に苦しむワタクシを嘲笑うかのようでした。洗面所で顔を洗うとき、鏡に写った自分に向かって”元気があれば何でもできる”と、アントニオ猪木のモノマネをして元気付けてみましたが、むしろその光景の不気味さに自分でヒキ気味になり余計に憂鬱にさが増しました。しかし、今日はイバンの家族との食事会。この旅にハズミをつけるいい機会になる、と期待しながら準備をしてタクシーを拾い家族の待つ家に向かいました。
 迷いながらも何とか自宅前に着いたとき、先日会ったイバンのお姉さんが家の前で出迎えていてくれました。”まだか、まだか”と待っていてくれた様子が分かり、非常に感激しました。何しろ前述したような精神状態だったので、”人の思いやり”が本当に嬉しく、大袈裟ではなく涙がこぼれ落ちそうになりました。さて、挨拶を交わし家の中に通されると、待っていたのはイバンと全く同じ笑顔でした。なんでここにイバンがいるんだろう、と一瞬本気で疑問に思ったほどです。これがイバンのお母さんでした。会った瞬間に、日本を出発して以来ずっとまとわり付かれていた緊張感から解放されて、リラックスすることができました。スペイン語があまり分からないワタクシに根気強く話しかけてくれ、イバンのこと、まだ会ったことのない日本の孫のこと、ワタクシ自身のことetc.色々な話をしました。ワタクシのために用意してくれたご馳走がテーブルの上に並び、ワタクシはみんなに呆れられるぐらいなすさまじい速さでそれらを平らげながら会話を楽しみ、本当にゴキゲンな一時を過ごすことができました。
 
 字数の関係で今回はここまでにいたします。では、また。
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# by hsalsa | 2004-07-02 14:37 | ルンベーロの日記
 キューバ上陸2日目。果てしないほど深く重い眠りから目を覚ますと、日は傾きかけていました。ワタクシの泊まっていたホテルはハバナ大学のすぐ近く、あのカストロも学生時代滞在していたというホテルでした。窓から注ぎ込む陽光も日本のそれとは異なり、一応冬だというのにどこかしら挑発的ですらありました。寝ぼけていたワタクシも”ああ、キューバに来てるんだあ”と実感でき、重い体をベッドからひきずり出し、とりあえずシャワーを浴びました。さーて、到着したのはいいんですがやることが山積みで、腰を落ち着けている暇はありませんでした。まず、ホテルは3日しか取っていませんでしたから2ヶ月間安く滞在できる場所を探さなければいけませんでしたし、ハバナ大学での語学のクラスの申し込み、ダンスのレッスンを受ける先生やバンドを見に行く場所も探さなければなりませんでした。しかも、スペイン語がまったく話せないのに、たった一人で・・。意気込みだけはあったんですが、何しろ右も左も分からない状態で、とりあえず2日目は街を歩いてみることにしました。どっこい、どこに何があるかまったく分かりませんでしたし、東洋人が珍しいのか、金をせびろうとしているのか分からないんですが、ひっきりなしに”オラ、アミーゴ!どっから来たんだい?”と声を掛けられるし、長旅の疲れが残っていたワタクシは15ラウンド戦い終えたボクサーのようにクタクタになってホテルに戻り、キューバでの2日目を終えました。次の日も、近くの公園で”日なたごっこをしているジイサン”のように座って、”どうしたもんかのう”と途方に暮れていました。このキューバでの最初の3日間ほど孤独を感じたことは、かつてワタクシの人生ではなかったです・・。何かの本で”人間がもっとも恐れるものは孤独だ”、というようなことを読んだことがあるんですが、このときそれをはっきりと悟りました。孤独になると思考もマイナス方向へマイナス方向へと行ってしまいます。”ワシはこのままここで孤独死するんじゃろうか・・”と、頭の中で発せられる言葉も年寄りくさくなり、3日目にして早くもワタクシのキューバ旅行は行き詰まりを見せました・・。どうなるんじゃろ、この後?では続きは次回に。
 ”Hasta pronto”
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# by hsalsa | 2004-06-28 14:38 | ルンベーロの日記
 さて、キューバに到着し前述(”ルンベーロ・ヒストリー その7”を参照)したように空港出口から出るところから今回のハナシは始まります。
 外に出ると、キューバに一度でも行ったことがあるヒトなら分かるであろう、”アノ空気”がワタクシの鼻の粘膜を刺激し、体中の皮膚を包み込みました。このときワタクシは”ああ、キューバに来たんだあ”と初めて実感しました。”アノ空気”-それは5年近くたった今でも、フトした瞬間(ロス・バンバンの曲で踊っているときや、キューバ産の葉巻の匂いをかいだときetc.)にワタクシのココロのある部分を素通りし、なんとなくセツナイ気分にさせられます・・。
 さて、初めて異国の地の感触を確かめ(なにしろ日本の本州から出たことがなかったものですから)感慨に浸っていますと、スケッチ・ブックくらいの大きさの紙切れに”KANEKO”と書かれたものが見えるじゃありませんか!長旅で疲れていたワタクシの頭の中では次のようなことが起こりました。”KANEKO”→”カ・ネ・コ”→”かねこ”→”金子!”ああ、オレのことじゃないか!と。その紙を持っていたのはダンスの先生のイバンのお姉さんとその娘さん、そしてイバンの娘さんでした。飛行機が大幅に遅れたにもかかわらず、出迎えのためにずっと待っていてくれたようです!感謝の気持ちでいっぱいだったんですが、それを表すスペイン語をとっさに思い出すことができず、焦って口からこぼれ落ちたのが”さんきゅー、べりー・まっち”でした・・。ま、それでもワタクシの気持ちは伝わったらしく、笑顔で応えてくれました。が、その後が大変でした。何しろワタクシのスペイン語の能力は中学1年生の英語力以下(冗談ではなく!)でしたから、その3日後に家に食事のお招きを受けたんですが、それを理解するまでに15分くらいかかり、さすがにイバンの家族も呆れ気味でワタクシ達の間には”微妙な空気”が横たわってしまい、少し気まずい思いをしました・・。ま、何とかコミュニケーションを取り、イバンの家族にそれまでのオタオタした様子とは打って変わった得意気な調子で”アディオース”(←数少ない、知っている言葉)と片手を上げて挨拶をし、タクシーに乗り込みホテルに向かいました。
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# by hsalsa | 2004-06-25 14:41 | ルンベーロの日記
 さてホテルに向かうタクシーの中。タクシーの運転手はワタクシがスペイン語を話せないと分かると、ヘタクソな英語で話してくれました。”どっから、来たんだ?”、”日本?オレはオルケスタ・デ・ラ・ルスを知ってるぞ。いいバンドだな”、”ホテルは何日取ってある?3日?その後は決めていない?じゃあ、オレの知り合いが宿をやってるから紹介してやる。気に入ったらそこに住めばいい。今から連れて行ってやるから見てみろ。”と、まあこんな調子でこちらが応えるのを待たないで矢継ぎ早に質問をし、何かわけのわからないまま、宿を見に行くことになりました。”地球の歩き方”を読んで海外旅行者の心構えを勉強してきたワタクシは、”ナメられないようにしなきゃいかんな”と勝新太郎ばりに眉間にシワを寄せ、腕組みをしながら後部座席でその知り合いの宿への到着を待ちました。そのときの心境は巌流島に向かう宮本武蔵のようでした。しばらく走り、宿に到着しドアを叩くと中から小太りの一癖ありそうなオバチャンが顔を出し、怪訝そうな顔でワタクシのてっぺんからつま先までをマジマジと観察しました。初対面で非常に申し訳なかったんですが心の中で”このオバチャン、ウーパー・ルーパーに似てるなあ”と思ったのを覚えています。その後、料金と条件を説明してくれたんですが、なにしろ長旅で疲れていたワタクシは早くホテルで横になりたかったのでそこの住所が書かれた名刺をもらい、早々とお暇を申し出てホテルに向かいました。ホテルに向かう道中もその運転手は途切れることなく話し続け、正直ワタクシも辟易しました。しかーし、こんなことで疲れていたらキューバで生活できない、ということを後に思い知らされることになるとはこのときは露ほども知りませんでした。
 ホテルでチェック・インを済まし、ベッドに横になると猛烈な睡魔がワタクシを襲い、”クールな旅行者”ではなく”行き倒れの浮浪者”のように眠りを貪りました。
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# by hsalsa | 2004-06-25 14:39 | ルンベーロの日記