浜松のサルサシーンをバックアップしているSALSA CON SABOR。イベント運営やレッスンなど。運営の裏話やいろんなイベント紹介をしていきます。


by hsalsa
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成田から無事機上のヒトになったワタクシは”落ちたら痛いんだろうなあ”、という飛行機に始めて乗ったヒトが誰もが感じる不安と戦いながらも”クールな旅行者”を装う、という無駄な努力を再び始めました。成田からヒューストンまでが9時間、ヒューストンからメキシコ・シティまでが2時間、メキシコ・シティからハバナまでが1時間、と半日近くも一つの場所にじっとしているのは落ち着きのない性分のワタクシにとってはヒジョーに苦痛でした。最初のうちこそ「これで”オレ、飛行機乗ったことあるよ”とクールにヒトに言えるな」、と童貞を捨てた後と似たような優越感に浸り、腕組みをしながら”ウン、ウン”と一人大きく頷いていましたが、さすがにそれにも飽きてきていつの間にやら深い眠りに落ちてしまいました。と、そうこうしているうちにヒューストンへ到着。が、ワタクシは”トランジット”というシステムが分からなかったものですから飛行機から降りるとき心拍数が上がっているのが自分でも感じられました。が、まあ係員の誘導の通りにコトが進んだんで安心したんですが、トランジットのための待合室に来たとき、成田からの便で周りにいた日本人が誰一人としていなくなっていることに気付きました。一瞬にして血の気が引いて、待合室のガラスのドアに写っている、ムンクの”叫び声”に描かれているような人物のような顔をしたのが自分だと分かるまでに数秒を要したほどです。ま、気を取り直して次の飛行機に乗り込みメキシコ・シティに無事到着できたんですが、今度は荷物をどこでどう受け取るか、だとか乗り換えのメヒカーナ航空のゲートはどっちかだとかが全く分からなくて途方に暮れました。それまで”途方に暮れる”という言葉は知っていたんですが実際に”ああ、こういうことなのか”と実感したのは初めてでした、ホントに。もし手元に携帯用の拡声器があったなら、”日本人の方いますかあ?!ここにかわいそうな男の子が一人で困ってますよお!”と気が狂ったように大声で訴えたと思います・・。このような熾烈な経験(?)をしてハバナに着き、”ルンベーロ・ヒストリー その7”の冒頭のところに話が続いていきます・・。では、また。
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# by hsalsa | 2004-06-24 14:42 | ルンベーロの日記
さて、前回から時計の針を少し戻してキューバへの出発の日の朝のことです。前夜、家族と”最後の晩餐”を過ごし、心配そうな母親の視線を背中に感じながらも、”ちょっと行ってくらあ”と寅さん並に粋な調子で出発したワタクシですが、いざ一人になって新幹線に乗り込むと、いいようのない不安と期待感のないまぜになった、誰もがこういうときに感じるであろう感覚に捕らえられました。それは胸が押しつぶされそうになるんですが、ものすごいエキサイティングな感覚でした。
 さて東京に着き、階段の多い地下鉄をやるせないほど大きなスーツ・ケースをゴロゴロと引きずりながら何とか成田空港エクスプレスに乗り込み搭乗ゲートの前に立ちました。ここからがワタクシの旅の苦難の始まりでした。自意識過剰気味のワタクシは手馴れた旅行者を演じようと思い、航空券を汗ばんだ手で握りしめながら、どうやって搭乗手続きをするのかをクールを装いながら横目でチラチラと観察しました。その甲斐あってコトはスムーズに進んだんですが、やっぱり落とし穴が最後に待っていました。それは最後の金属探知機かなにかを使った荷物検査のときでした。荷物を通過させればいいだけなのに、そういうシステムがあること自体知らなかったワタクシはここで荷物を預けるものだと勘違いして、”ここで荷物を預けたらどこで受け取るんだろう、そういえば「地球の歩き方」にも荷物はよく盗まれるから注意するように書いてあったしなあ・・”とかいらない心配をし、青ざめてその場に凍りついてしまいました。その気配を察した係員は”大丈夫ですよお”とインフルエンザの注射を嫌がる幼稚園児を諭すときの先生のような優しい口調でワタクシを促し、無事それを済ませました。そこを通り過ぎるとき自分の中で作り上げた”手馴れたクールな旅行者像”は音を立てて崩れ去り、通路のガラスに映った自分の姿はまるで”都落ちをする平家の落ち武者”のように見えました。自分でもそれとわかるような大きなため息をつき、背中を丸めながらトボトボと歩きながら搭乗口に向かい、この先を考え憂鬱になったのを覚えています。
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# by hsalsa | 2004-06-18 14:42 | ルンベーロの日記
 白い麻のスーツに身を包んだその男はゲートを出ると、かけていた黒のサングラスを取り、内ポケットからハバナ産の高級葉巻であるコイーバを取り出し銀色のライターで火をつけゆっくりと燻(くゆ)らせた。今まで感じられなかったキューバ独特な空気が漂うその場所ではゆったりとしたソンが流れ、男はその心地よいリズムに身を委ね、エロティックな視線を投げかけてくる銀幕の世界から抜け出してきたような美しいムラータにクールなウィンクを返した・・・。
 
 キューバに着いたらこんな風に登場したかったんですが実際は次のようでした。

 13時間の飛行機の旅を終えボロキレのようになっていたワタクシは入国審査のときに係員が話しているスペイン語が分からず、辞書を片手に”私は怪しいモンじゃございません”ということを必死に訴えなんとか通してもらいましたが、いかにも性格の悪そうな別の係員に買いだめていたマルボロをせびられ泣きそうな顔でゲートに向かいました。ロビーには”ゆったりとしたソン”ではなく騒々しいハードなサルサが流れていて、早口に飛び交うキューバ独特のスペイン語の嵐の中で一人立ち尽くし、いいようのない孤独感に襲われ、その場にしゃがみこみシクシクと泣きたいような気分になったのを憶えています。そんなワタクシを絶好のカモだと感じたのか、”銀幕から抜け出してきたような美しいムラータ”、ではなく年増のブサイクなヒネテーラ(キューバの売春婦)が舌なめずりをするようにワタクシに近づいてきました。ワタクシは視線を合わさないようにソソクサとその場を立ち去り、出口に向かいました・・。
 
 とまあ、大方の予想の通りだったと思いますが、ワタクシがキューバに降り立ったときはこんな感じでした。
 しっかし、長い旅でした。成田→ヒューストン→メキシコ・シティ→ハバナ、と乗り換えも2回ありましたし、今まで飛行機に乗ったことすらなかったんで右も左も分からない状態で何回泣きそうになったか分かりません、ホントに・・。
 
 ま、その苦労話は次回ということで。では、また。
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# by hsalsa | 2004-02-28 14:43 | ルンベーロの日記
 さて大学卒業を間近に控えたワタクシはダンス・チームの一員としてパフォーマンスの練習をしたり、夜な夜なのクラブ通いでそれなりに忙しく過ごしていました。が、この時期ある強烈な思いがワタクシを捉えて離さなくなりました。
   ”キューバに行きたい”
 この思いは日を追うごとにワタクシの中で大きくなり、悪性のウィルスのように心の中を駈けずりまわりました。”じゃあ、行けばいいじゃん”と今のワタクシなら思うところですが、当時日本の本州からも出たことがなく、スペイン語すら話せない世間知らずの小僧がたった一人で地球の裏側の未知の国に行く、っていうことは藤岡弘が仮面ライダーに変身しないでショッカーと戦うぐらい無謀なことのように思われました。
 そういう不安な気持ちを抱えながらも、やはり”キューバに行きたい”っていう気持ちを抑えることができなかったですし、クヨクヨ悩むわりに開き直ったら何も考えなくなるという幸せな性格も手伝ってキューバ行きを決意し、そのための準備に取り掛かりました。それはいいんですが、前述したように海外旅行に一度も行ったことがなかったから何をどう準備したらいいかも皆目見当がつかずに途方に暮れましたねえ、最初のうちは・・。周りのヒト達に何を持っていったらいいかを聞いて回った気がします。当時を知るヒトは戦地に赴く兵士のような悲壮感が漂っているように感じていたかもしれません。
 今振り返ってみますとこの時期の”全部一人でやらなければいけない”、っていうプレッシャーが甘ったれた大学生だったワタクシを少し成長させたように思います。誰も頼らずに完全に一人で行動する、という経験がそれまでのワタクシにはなかったような気がしますし。
 ダンスのチームの皆がイバン先生の家で旅の門出を祝うパーティーをしてくれました。”気が変わったから行くのやめーた”って言うことも出来なくなり(笑)、みんなの激励の言葉が遥か遠くの方から聞こえるような気がしたのを憶えています。
 
 今回はここまでにします。”Hasta pronto”
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# by hsalsa | 2004-02-26 14:44 | ルンベーロの日記
 今回はわたくしの関西でのサルサ・ライフについて書いてみようかな、と思います。
 当時はサルサが現在のように流行する前でしたので、サルサを踊りに行く場所も限られてました。まあ、それでもサルサを踊り始めて数ヶ月の時期、っていうのは熱病に冒されたように踊りたい時期ですんで(みなさんもそうだと思いますが)、京都の行きつけのCDショップに足繁く通っては、エッコラエッコラとイベントの情報を収集しては夜の街に繰り出す、というような生活を送ってました。
 だいたいイベントというと自然と大阪に行くことが多かったです。そういう場合は夜通し踊って始発で帰ってくる、なんてハードなコースでした。ヒドイときにはこういうコースを3日続ける、なんてこともありました。今考えると若かったですねえ、ワタクシも・・。
 イベントに顔を出す人達も決まっていて、まあ、いうなればほとんど顔見知りといってもよかったでしょう。当時、ワタクシはどこに踊りに行っても最年少の男の子でしたから、お姉さま方にはほんとによくかわいがってもらいましたー踊りは救い難いほどでしたが・・。薄暗い照明の下でキューバ・リブレを飲みながらピョコタン、ピョコタン踊って、ごきげんな人達と他愛もない話をする、そんな毎日が本当に楽しくて幸せを感じてました。それまでのワタクシにはできなかった人生の楽しみ方を教えられましたねえ。やっぱり、ダンスの先生であるイバン先生の影響が大きかったと思います。イバン先生みたいにタフで明るく、周りの人間を大切にして生きれたらいいなあ、と思ってきましたし、今でも思ってます。
 豊かだと言われている日本では毎年3万人の人が自殺してます。子供を虐待する親も驚くほど多いです。一方、貧しいと言われているキューバではほとんど自殺する人はいないし子供を虐待する親もほとんどいない、と聞きました。ワタクシは社会学者じゃございませんからあんまりえらそうなことは言えませんし、キューバがイイ国で日本はダメな国なんてことを言いたいわけじゃありません。
 あるキューバ人が”日本人は本当の人生の喜びを知らない”というようなことを言っているのを聞いたことがあります。踊り初めて5年目になる今のワタクシにはこの言葉の持つ本当の意味が少しではありますが分かるような気がします。
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# by hsalsa | 2003-06-06 14:44 | ルンベーロの日記
先々週は名古屋遠征、そして一昨日は浜松でぱーちーとサルサでモリモリ盛りだくな、ぴにゃこらーだです。
名古屋で買ったテンガロンとホルダーネック、パンツでがが~んと登場してしまいました。(堪忍なーーー)
体型的な問題でエロさからは程遠いベクトルにじりじりと進んでおりますが、衣装にこりだすと恥じも外聞もなく、踊るのがさらに楽しくなるから不思議ね。>>まぁ、あの日は仕事でいいことがあったためゴキゲンでもあったのだが…
ところで、エルメス先生のレッスンも楽しかった!!っつーか笑いのセンスもあったしね。また教えに来てほしいなぁ。
えっ!来てくれる?マジで~、わーい。
怒られそうだけど、3倍太って筋肉質だったらちょっと前に栄養ドリンクのCMに出てたアノ人に似てるよね。ビザ切れてて強制送還されたアスパラドリンク?の人。
…、…、…ゴメン。なんでもない。

ええーっと!一昨日ぴにゃがエルメス先生に踊ってもらってる間にぴにゃの飲みかけのキューバリブレ跡形も無く飲んじゃった奴、誰!?今度見つけたら逮捕するぞ~
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# by hsalsa | 2003-06-02 14:59
 ちょうど4年前の今ぐらいの時期のとある日、マンションでサルサのステップを踏んでいたら、ダンスの先生であるTOMOKOさんから電話がかかってきて「金子くん、5月にダンスのショーがあるんやけど出えへん?」とダンス・グループへのお誘いを受けました。ワタクシは意気込んで2つ返事で受けました。と、言いたいところですが、正直迷いました。なにしろ、その時期のワタクシはダンスを始めて3ヶ月程度でしたし、前述した通りそのレベルは、と言いますと、とてもじゃありませんが人様にお見せするようなシロモノではなかったのです。が、ここで日和るのはどうかと思いましたし、何よりシャイなくせに目立ちたがり屋な性分なワタクシは、ショーが終わったあと満場の観衆からスタンディング・オベーションを受ける自分を想像して、”う~ん、いいかも”と一人ニヤつきました。と、いうわけで晴れてダンス・グループの一員となったわけでございます。
 さて、そこからが苦難の連続でした。メンバーの中で一番の年下であり、一番レベルの低かったワタクシは振り付けを覚えるのに必死でした。踊り過ぎのため足の血豆がはぜ、極度の運動量のため血尿が出る、というような日々が続きました。すいません、これはウソです。が、この時期は自分のセンスの無さ、だとか劣等感みたいなものに苦しめられました。やっぱり、それなりに悩んでいたのを感じ取ってくれたのか、イバン先生やトモコさんが度々励ましてくれました。で、なんとか頑張って当日を迎えました。
 当日は野外のステージで踊ったのですが、本当にどう踊ったのか覚えていないほどあっという間でした。楽しむ、とかそういう余裕なんてもちろんありませんでした。あとでビデオで観たら、華麗に踊ってる自分を期待していたんですが、変な得体の知れないイキモノがピョコタンピョコタンうごめいているのが写っていました。それを観たとき、ワタクシは人知れずこの世から姿を消し去りたいほど絶望的な気持ちになったことを憶えてます。
 が、まあ、ステージに立つ、というのはいい経験になると思います。土曜日、骨髄バンクのイベントで始めてステージに立つ人達もいると思いますが間違えてもいいからポップに踊りましょう。絶対、ダンサーとして次のステージに進むきっかけになると思います。
 
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# by hsalsa | 2003-04-04 14:46 | ルンベーロの日記
 さて、今回はワタクシの音楽遍歴について述べたい、と思います。
 そもそもワタクシがマニアックな(所謂日本のポップス以外の)音楽を聴き始めたのは今を遡ること10年あまり、まだワタクシが紅顔の美少年(もちろんウソです)だった頃のことでございます。当時高校生だったワタクシはJAZZ好きだった漫画”美味しんぼ”の山中さんの影響を受けてJAZZを聴き始めました、しかもどっぷり真っ黒いファンキーなやつを・・。そもそもこれがすべての過ちの始まりだったかもしれません。いままでポップスに馴染んでいた耳にJAZZはとても新鮮に聴こえました。チャーリー・パーカーやバド・パウエルのソロは当時まだウブだったワタクシに強烈な衝撃を与え、魂を揺さぶりました。これが現在のワタクシの音楽の好みの原点となっているように思えます。
 今思い出すと、当時この良さは同世代の周りの友達には絶対理解できないだろう、と妙な優越感に浸っていたようなフシがありました。嫌ぁなヒネた高校生だったと思います。御察しの通りモテませんでした。放課後、掃除が終わった後にマイルス・デイビスの”枯葉”のソロを口笛で吹いていたら、一時期それがクラスで爆発的ヒットになったのを昨日のことのように思い出されます。ワタクシがJAZZにのめり込んだことによってもっとも被害をこうむったのは麻雀友達でした。当時3日と空けずワタクシの家で麻雀をやっていたのですが、麻雀が始まると当然のようにラジカセからアート・ブレイキーの”モーニン”が流れだし、ムンクの”叫び声”みたいな青ざめた顔で打っている他の3人を尻目に、一人ワタクシは悦に入っておりました。
 どっぷりJAZZにはまり込んでしまった高校時代のワタクシですが、予備校、大学に進むにつれて様々な音楽を求めるようになりました。が、今回はここまでにしたいと思います。
 Hasta la vista!
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# by hsalsa | 2003-04-03 14:47 | ルンベーロの日記
 さてイバン先生に習うことに決めたワタクシですが、普段レッスンをやっているのが大阪の難波。一方ワタクシの住んでいるのが京都は出町柳。まあ、ご想像に難(かた)くなく、近くはないです、決して。が、いったん火のついたワタクシを止めるのはボブ・サップでも不可能ですから、片道1時間弱の道のりを電車で揺られながら通いました、週2回。
 最初のうちのワタクシの踊りは、と言いますと、そりゃあ、ヒドイもんでした。そのヒドさといったら、言葉では表現しきれないほどです、正直なところ・・。さすがのワタクシも打ちのめされて、レッスン帰りの電車の中では大阪の夜景を見ながら溜息を48回ほど漏らし、家に帰って寝るときには枕を涙で湿らす、という毎日が続きました。
 それでも止めようと思ったことはなかったですねえ、今思い出してみても。たくさんのカワイイ女の子達と華麗に踊りたい、っていうヤマシイ下心ももちろんあったんですが、生まれてこのかた”踊る”ということをしてこなかった日本男児にも”踊ることの楽しさ”が日に日に分かってきたからだと思います。
 この後イバン先生のダンス・グループ、”Ritomo Cubano”に参加することになるんですけど、それはまた次回ということで。 Hasta la vista.
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# by hsalsa | 2003-03-19 14:48 | ルンベーロの日記

世界で一本だけの花

浜松の踊る主婦です。

そう、踊りは楽しまなくっちゃ踊ってる意味がない!

周りを見るとみんな上手で、なんで私だけ下手なんだろう、ついていけないんだろう・・・東京時代、そんなことがしょっちゅうしょっちゅうしょっちゅう!!ありました(今でもあります)。私はもしかして踊りに向いてないのかも、と自己嫌悪モードの時や、サルサが嫌いになりそうなときは、決まって練習をサボって六本木のサルサバーに踊りに行きました。

そして、鏡のないフロアでなんとなく飲みながらなんとなく踊っているうちに、だんだん忘れていたものを思い出すんです。「何も考えずに踊ること」。あ、なんだ、あたしは踊ってればそれで幸せなんだ、そんな単純なことを、人とくらべたり羞恥したりあせったりすると忘れてしまうですね。

ときどき日本人であることをとても不幸だと思うことがあります。恥ずかしいとか、常識通りじゃなきゃいけないとか、人並じゃなきゃとか・・・・。学校教育の弊害ですね、ハッキリいって。

踊りも顔も性格も、みんな違って当たり前。いいとこ悪いとこ全部ひっくるめて愛おしく思ってあげてください。緊張しちゃう人は、「そんなあたしって繊細で可愛いかも」って思ってください。誰も誉めてくれないなら自分で自分のこと誉めてあげなきゃ。そして、幸せに踊ってください。そんな自然体のあなたを見て、きっと眩しく思う人がいます。だって、それが人が発することができる最大のエネルギーだもん。

完璧な人間なんてどこにもいなくて、みんなどっか「けったい」で、そこがまた魅力なんだと思います。比べるべきは他人じゃなくて昨日の自分。世界で一本だけのきれいな花を誇らしげに咲かせてください!

屋久島の交通事故から生還して、ちょっとしんみりモードはいっちゃいました・・・
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# by hsalsa | 2003-03-10 14:59